二次創作の話

初めに、これは二次創作が辛くなった話と言っておく。

 

私は「忍たま乱太郎」が好きで、絵を描くのが好きなので、忍たまの二次創作を楽しんでいた。

 

そして、Twitterやpixivに載せていた。

下手でもそれなりに見て貰えたし、いいねもそこそこ貰えた。

初めは「30いいね」で、報告ツイートをするほど嬉しくて、「50フォロワー」でめっちゃ増えた!と思い、記念企画みたいなのをしていた。

だけど、TLには数千、数万のいいねやRTで溢れていて、すごいなぁと思った。

 

だんだん、自分の数字がとてもちっぽけに見えてくる。

 

私より絵が上手いんだから当然だ。

私よりフォロワーが多いから当たり前。

わかっているけど、嫉妬が込み上げてくる。

 

それから、Twitterをいつ開いても出てくる「おなじみの絵師」。

名前は伏せるが、界隈では忍たまと言えばこの人!みたいになってる絵師だ(私は、公式でもないのに、𓏸𓏸と言えばこの人!みたいに言う風潮が苦手だ)

公式っぽい絵の下に、数千RT、数千いいね。

私はこれを見るのが嫌だった。

Twitterを離れて、忍たまの公式絵をGoogleで見ていても、随所に出てくる非公式の絵。

公式が見たいのに、二次創作が出てくることにうんざりした。

確かに綺麗な絵だが、私にとってはうざい絵になってしまった。

初めは二次創作を見ることが苦手だったが、今度は、私自身が、二次創作を描けなくなってしまった。

 

しばらくは他の人の作品を見ないようにして投稿を続けていたが、描いてる最中に、私はフォロワー少ない、こんな絵がいいね貰えるわけない、あの人は何千フォロワー、あの人は何万いいね、と、変な言葉が頭をよぎるようになったのだ。その度にお腹が痛くなり、全く楽しくなくなる。お絵描きすら苦痛になった。

 

それでもまだ描き続けていたら、親から、「そんなもの描いてたって、売れないんだから」「絵なんか描いてないで働け」と言われ、ショックだった。確かに私の絵は売れるようなもんじゃないし、仕方ないだろうけど、好きなものを否定されたような気がして、自分の趣味のひとつをやめろと言われた気がして。

(一応書いておくが、私は発達障害で、障がい者の職場で働こうとしている。それでも不安ばかりで、それが応援の言葉だとしても、悲しくて辛くて、涙が溢れるのだ。

もちろん働かなければいけないのは分かっているけど、レストランのアルバイトで、三日で心が折れてしまったことを思い出し、怖くてたまらない)

この言葉で、さらに落ち込み、お腹が痛くなった。

私は元々落ち込みやすい性格なので、絵のことだけで極限まで落ち込むことができる。

忍たまは好きだけど、二次創作と、二次創作を描くことはもうできないみたいだ。

ただ、忍たま公式は大好きだし、一次創作も大好きなので、それは続けたいと思う。

趣味でこんな苦しい思いしてまで、続けることはないと思う。描きたいものがあれば、それでいい。やりたいことがあれば、それでいい。

 

ちょうど、忍たまより自分のキャラの方が愛着が湧いてきたところだ。

友達の話

長いので、暇潰しにお読みください。

私には友達が二人いる。

一人は小学生の頃から幼なじみの女性で、もう一人はTwitterで知り合った歳上の女性だ。

二人とも優しくて、大好きだ。

同時に、離れないか不安である。

 

私は軽度の発達障害であり、できないことが周りより多い。

いつかやらかして、二人を幻滅させて、嫌われるようなことをしてしまったら、どうしよう。

友達だけど、嫌われたくないから恐る恐る接するのだ。

すると逆に、疲れた?大丈夫?と言われ、心配かけてしまったんだな、と思う。

気を使わせてしまっている気がして、なんだか申し訳なさすぎる。

幼なじみの彼女は、私と共に小学生の頃にいじめを受けていたために、慰め合うことが多く、よく遊んでいた。

中学でも受験期まではよく話したりした。同じ高校に入り、高校のクラスが離れ、下校時にしか話せなくなっても、友達でいてくれたし、誕生日プレゼントまで用意してくれた。もちろん私もプレゼントした。(Twitterで知り合った彼女とも、LINEを交換して、誕生日プレゼントも送りあっている)

こんな素晴らしい人に巡り会えるなんて、私って飛んだラッキーだなと思った。

 

しかし、事件が起きてしまった。

家族や警察を巻き込むとか、そういうのでなく、私の中だけの大変な事件だ。

 

まず、幼なじみの彼女のこと。

 

高校卒業してから、久しぶりに二人で出かけようという話になった。

出かける前夜、友達というのに、緊張してしまって、プチパニックだった。

そして当日、目的地に行くにはバスに乗らなければならない。

バスでも別にいいのだが、ここで私はやらかしてしまった。

列がよく分からず、既に並んでいる老人の前に並んでしまい、友達に引っ張り出されて注意されてしまった。

ここで既に落ち込みMAXだったのだが、バスに乗る際にSuicaをスキャンするのを忘れてしまい、降りる時にまたスキャンすると、支払金額が出るはずが当然出るわけもなく。

運転手に「どこから乗ったの?」

と聞かれ、困惑して、どうしようどうしようと、頭が真っ白になり、だまっていたら、また、「どこから乗ったの??」と強い口調で聞かれ、泣きそうになってしまったところで、「𓏸𓏸です」友達が代わりに答えてくれて事は治まった。

 

バスから出た後、怖くて悲しくてしばらく喋れない私に、「いつもは優しい運転手さんなんだけどね、怖い人だったね」と声をかけてくれた友達。

それに対して、「そうだね」

それきり言葉が出なかった。

なんでいつもこうなるんだろう。

私はもう自分が嫌になった。

他にも、疲れてないか確認してくれたり、世話を焼かせてしまった。

たまに会話で聞き返される時も怖くなったし、家に帰ってから、この出来事で私は嫌われた…また迷惑かけるし、もう会うの辛いな…そんな考えになってしまったのだ。

 

もうひとつの事件は、Twitterで知り合った友達のこと。

 

その友達は統合失調症で入院経験がある。

そんなこと忘れるくらい会話が楽しく、夜遅くまで語り合う良き友なのだが、やはり起こってしまった。

気持ちのすれ違いが。

 

彼女は突然私のLINEをブロックした。

 

私は悲しくて辛くて、手紙を送った。

傷つけてしまったかな、嫌われちゃったかな、色んなことが頭をよぎり、大事な友達を失ってしまうかもしれないと、怖くて眠れなかった。

 

返事がきた。

LINEもブロックを外してくれた。

ブロックした理由は、私のメッセージで傷ついて、関わりを断ちたいと思ったからだそうだ。

話によると、私たちは元旦にハガキ風のイラストを送りあった。

彼女の絵は、キャラクターが片足をあげている絵なのだが、彼女が「骨折してるみたい」と言ったので、私も、確かにと言って便乗した。

元旦、私は不運なことに足を捻挫していた。

彼女の絵のキャラクターがあげている足が、私が捻挫した足と同じ左足だった。

ふとそれを思い出し、

「ぞっとした。私足捻挫してるんだけども…」

と話してしまったのが悪かったみたいだ。

「ゾッとした」

これだけが独り歩きし、「絵が怖いと言われた気がして、頑張って描いたのに、辛い…」と言っていたので、ごめんね!でもそういう意味じゃなくて、絵が怖いんじゃなくて…となんとか説得して、安心してくれたようだが、その後、「メッセージ、おかしいと思ったらすぐ言うね」と言われ、私も「うん!私も言葉には気をつける」と約束したのだが、なんだか疲れてしまった。

私ってそんなにおかしいメッセージ打ってる?私がおかしいの?勘違いで病んでたのだから、勘違いしたら言うねって言って欲しいな。とか、私、たまに変な文章になっちゃってる?とか、気付かぬうちに傷つけてしまった…としばらく考え込んでしまった。

統合失調症ってこんな感じなんだ…と、二年も友達なのに、改めてそう感じた。

と、同時に私は元々喋る時に頭でゆっくり整理しないと何も話せないので、LINEも同様に頭で整理して打つので、返信が遅かったのが、彼女を傷つけないようにするためにもっと時間を要するようになった。

LINEしかやってないのに、だいぶ疲れるようになった。

それに、私も私で、突然ブロックされて悲しかったよ。と伝えたのだが、どこかあっさりしていた。「ごめんなさい」

勘違いされて必死で謝ってたのがやるせない。

統合失調症だから、というのもあるが、だとしても深い悲しみが残る。

 

そして私はやらかしたことがある。

 

彼女はアニメオタクで、よくグッズを買ったという報告をしていた。

私は何して働いてるんだろう?と思い、聞いてみたら、

彼女は障害年金を貰っていた。

今となっては、統合失調症はとても働ける状態では無いことを知っているから、そのことについてはそっとしておくべきだと分かっているが、その時は、なぜだかどうやって貰ったのか聞いてしまった。嫌な質問をしてしまったなと後悔している。

そして、いいな、羨ましいなどの言葉を使ってしまったのだ。

その時彼女は、「でも、働いてない罪悪感すごいあるし、ほんとに動けないんだよ。幻聴酷いし、お風呂も入れない。辛いんだよ」と教えてくれた。

私はその時初めて、私はなんて酷いことを言ってしまったんだろうと思った。

LINEを終わらせてから、布団に入っても、あとからあとから後悔が押し寄せてきて、この先私は、どうやって生きていけばいいんだろう、私はなんて冷たい人間なんだろう…と自分に問い詰めてしまい、寝れなかった。

 

幸い、彼女とは亀裂が入ることなく仲良くできている。

仲良くして貰えているのだ。

お互い体調を崩しやすいのもあり、話さない時期が長いこともあるが、たまにメッセージを送ると、返してくれるのがたまらなく嬉しい。

そしてまた語り合うのだ。

なんだか、付かず離れずで良い関係を保てているだけで、私にとっては丁度いい友人関係なのだ。

 

こんなふうに、たまに失敗して、自分を責めまくる日もあるけれど、友達がいるというだけで、ここまで人生が鮮やかになるもんなんだなぁと思った。

何千億万人の中から、私の前に現れてくれた二人に、感謝感激運命に乾杯である。